僕のお父さんは光のお父さんではなかったけどゾンビと戦うお父さんだった ①
今さらながらにドラマ「光のお父さん」を見ました。面白かった。
「光のお父さん」がどんな内容のドラマか大雑把に言いますと、主人公の青年はオンラインゲームが趣味の普通のサラリーマン。ある日主人公の父が定年を待たずに突然会社を自主退職してしまった。普段から口数の少ない父は家族に退職の理由を話そうとしない。そこで退職後の趣味に、と父にオンラインゲームを薦める主人公。そのゲーム内で息子であることを隠して、いちゲームプレイヤーとして父に接近し、一緒にゲームをして仲良くなり退職の理由を聞き出そうとするが・・・
って感じのドラマです。
僕のお父さんも歳を取って(多分60歳はすぎていたと思う)からテレビゲームをやり始めました。
でも今現在、僕のお父さんは既に鬼籍に入っているのでもうこの世界にはいません。
ですのでこのドラマを見ながら、面白くて可笑しいんだけどなんだか切ないような懐かしいようなそんな複雑な気持ちで終始見ていました。
世代間の決定的な断裂がそこにはあった
平成の今でこそ、親子が一緒にテレビゲームをするなんて光景は珍しくないかもしれないですが、お互い昭和生まれの親子間で一緒にテレビゲームをするなんて光景は少し異質に見えます。
僕のお父さんの世代の子供のころの遊びと言えば竹とんぼやメンコやコマなどアナログ一辺倒ですし、貧しかった時代ですのでおもちゃすら買ってもらえなかったと聞いてました。
僕が小学生くらいのころ任天堂の「ファミリーコンピューター」という画期的なおもちゃ(テレビゲーム)が発売され、全国の子供たちを虜にしました。
これが家庭用ゲーム機のさきがけというかパイオニアだったと思います。
この時期からテレビゲームやパソコンなどの機器に触れる頻度が高い「デジタル世代」と、デジタルなものに、はなっからニガテ意識をもつ「アナログ世代」とで大きく分かれたのだと思います。
全国のご家庭で「ゲームばかりやってないで勉強しなさい!」と、そのたぐいの小言が怒号が、子供がいるどのご家庭でも聞こえていたはずです。
僕も例外なくゲームばかりやって勉強しない子供でした。
両親からは一日のゲーム時間は決められていましたがゲーム時間を過ぎてもゲームがしたくてたまらない僕と弟はなんとか両親の目をかいくぐり、ゲリラ的にゲーム時間以上のゲームをやっていたものです。
しかしそれは子供のすること。何度となく両親に見つかり、そのたびにこっぴどく叱られていました。
ある日とうとう父の怒りも臨界点を超えたようでファミコンを外のブロック塀に叩きつけられ破壊されてしまいました。
その時の悲しみと衝撃は今でも覚えています。
完全に修復不可能な姿になったファミコン。
父を最大限にまで怒らせてしまった後悔、恐怖。
あまりの悲しさに僕のとなりで火が付いたように泣きじゃくる弟を横目にただただ呆然と立ち尽くしていました。
しかし、僕と弟はそんなことにもめげずにその悲しみを乗り越え、再びお小遣いを貯めなおし、友達のつてをたどって安い中古品を手に入れたりと、あの手この手でまたゲーム機を手に入れ、ゲームをやりすぎては怒られるという日々の繰り返しでした。
僕たちのお父さんの世代は「家庭用テレビゲーム機=憎むべきもの」という図式が成り立っていたと思います。
テレビゲームのせいで
- 見たいテレビは見れない
- 子供は勉強しない
- テレビの調子は悪くなる
- ゲームソフトを買ってくれと子供たちが何かにつけて目の色変えて自分の小遣いを狙ってくる
と、いいことなんかひとつもなかったのですから。
ゲームを忘れたかつての子供たちを引き込む任天堂wiiの登場
そんな僕らも大人になるにつれ、次第にゲームをしなくなっていきましたがある時僕たちをゲームに引き戻す家庭用ゲーム機が発売されました。それが任天堂の「wii」です。
wiiはこれまでのゲームと違い、ワイヤレスリモコンのコントローラーを体感的に使って皆でワイワイ遊ぶといった感じなので、ゲーム機本体はリビングに置いて、みんなが集まってwiiスポーツとかをやったりしてました。僕もそのころは関東での職場から地元に戻っていましたので日曜日などは既に家庭をもっていた弟の家族も加わり、みんなで集まってwiiをやってました。
そんななか僕は少し毛色の違うゲームを買って帰りました。
バイオハザード4がどういうゲームか大雑把に言うと、敵として出てくるたくさんのゾンビ(怪物)をプレイヤーが操作するキャラクターが拳銃で撃って倒していくというゲームです。ホラー要素を含むちょっと怖いゲームです。
ゲーム機本体を自分の部屋に移動させて、自分の部屋のテレビに接続しなおしてやるのもめんどくさいんでリビングでバイオハザード4をやっていると後ろで僕のプレイを見ていた父が思いもよらないことを僕に言いました。
「わしもやってみたい」
その時の父の年齢は60歳をとうに過ぎていたと思います。
そんなお爺ちゃんがこんな近代的なゲームが出来るのかと思いましたが、そのとき僕は妙にうれしかったのを覚えています。
テレビゲームなんて親から忌み嫌われるばかりで、決して理解が得られるものでは無いものだと思っていました。
アナログ世代は決して僕たちの方に歩み寄ることはないと思っていたのです。
「またゲームか」
「ゲームばっかりして、勉強は済んだのか?」
「よく飽きもせずにそんなものでずっと遊んでられるな。いいかげんやめたらどうだ?」
子供のころ、僕たちが大好きなテレビゲームは親たちにとっては完全に悪者でした。
自分の大好きなものが親から嫌われている。
テレビゲームは好ましいものではないんだ。
お父さんたちはテレビゲームに夢中になる僕たちがきっと嫌いなんだ。
そんな罪悪感のようなものを子供ながらに抱えながらもゲームの誘惑には勝てずに日々テレビゲームで遊んでいたように思います。
そんな父が「わしもやってみたい」といいました。
父から「わしもそっち側で一緒に遊んでみたい」と言われたようで、
僕たちが大好きなものを初めて認めてもらえたようで、
僕は戸惑いながらも「うん、いいよ」と父用のセーブデータを作り、最初の方は父のそばで操作方法を教えながらゲームを進めていきました。
次回に続きます。
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