自分の描いた絵は二割増しで可愛く見えてしまうという罠
クリップスタジオと液晶タブレットを買ってからというもの、これまで何点かデジタルでイラストを描いてきました。
デジタル・アナログに限らず思ったのですが、自分の描いた絵はどうしても二割り増しくらいで可愛く(良く)見えてしまうということです。
これは親の欲目というやつかも知れません。
自分が手間暇かけて生み出したものに対して愛着がわくのは当然のことかもしれませんがこれは大変危険なことだと思っています。
自分の描いた絵を今後誰に見せるでもなく、描いた端から洞窟の奥にでも隠して自分だけがたまに洞窟に訪れて楽しむなら問題はないです。
でも、他人に見せてある程度の評価をもらいたい。とか、もっと上手く描けるようになりたい。など思っている場合はこの「親の欲目」が邪魔をすると思います。
二割増しでよく見えるということは逆に言うと二割増しで粗が見え辛くなるということです。
粗が見えないということは手直しの箇所が分からないということだと思うんです。
僕はいつもやっている5分間ドローイングは描いた端から保存していますが、それ以外のイラストは描きあげてから最低でも一日は置いて改めて見直して手直しする箇所がないか確認してアップするようにしています。
描き上げた直後では手直しする箇所がよく分からないんですよね。なぜだかよく分かりませんが。
ただでさえ分かりにくいのに「親の欲目」のせいで二割増しで粗が見えなくなると余計に混乱すると思うんですよね。
「親の欲目」からの脱却は要するに「客観性の獲得」になると思います。
一番いいのは見てもらった人から率直な意見を聞くことだと思いますが、これも難しいです。
下手な絵を「ヘタだねw」って言ってもらうこと、または言うことって難しいってことに最近気づきました。
特にこの「はてなブログ」では。
もっと匿名性の強い掲示板とかなら割とすんなりネガティブなことを言えますが「はてなブログ」の場合はブロガー同士のつながりが強いので自分が逆に攻撃を受けるリスクの方が高いと思います。
現に僕はこのブログでイラストを何点かアップしていますがあまり酷評されたことないですのでやはり悪口は言い辛いのだと思います。
それに他人から評価とか感想とかもらうってことは割と贅沢なことなんだと思いますね。
それだけ手間を煩わせるってことですから、よっぽど心が動かないと評価とか感想とか書き込みたくないと個人的には考えます。
一生懸命描いたイラストなどが誰からも評価されず批判も称賛もないと、とても寂しいですけど僕はこういう場合は「ノーリアクションもリアクションのうち」と思うようにしています。
つぎはたくさんリアクションしてもらえるような物を作ろうと改めて思うのです。
でも。
でもですよ。
まあ、僕は違いますよと前置きしておきますけど。
イラストに限らず、僕と同様に作品をネットにアップしたのに特にリアクションが無いとお嘆きの方もいるかもしれませんがそこまで悲嘆することは無いと思います。
あなたの作品が「評価に足るものではない」ということではなくただ単に「分母が小さい」ということだけなのかもしれません。
すっごく素晴らしい作品でもその作品を見た人がすべて感想や評価をネットに書き込むわけではありません。
書き込む人は全体の何分の一の人たちです。
評価が無かったのはたまたまそれを見た人が少なかったせいという可能性も大いに考えられますので、ネットの評価と作品の質は決して同等ではない。
ということだけ付け加えておいてこの話は終わりたいと思います。
本日の巨匠に学ぶのコーナー
吾妻ひでお著/ひみつのひでお日記16Pより模写
まだまだ吾妻ひでおの真髄には遠く及ばず。
ひみつのひでお日記
ご覧いただいてありがとうございました。